2026/05/14 19:56

摂食障害からコロナ後遺症、診断がつかない難病、10人もの介助人無しでは生活することができない筋萎縮性側索硬化症、人種マイノリティ…などを抱えた11人に慎重かつ温かいまなざしでインタビューをし、そこからそれでも生きていく彼らの体の置きどころを正確にまとめた、かつてない重厚な1冊である。
人は自分の「体」そのものや「体」を通した環境との関わりに困難がある時、何とか少しでも楽になれる方法や場所を探そうとする。心と身体が折り合いがつかないとき、要は心身のズレが生じているとき、いつまでこんなに辛い症状が続くのかを考えるとき、人は必ず原因を突き止めようとする。しかしどんなにままならなくても自分にはこれしかないたった1つの体と、時間をかけ試行錯誤を繰り返し折り合いをつけていくしかないのである。原因を知ることは慢性的な病状や治療法がない病に苦しむ者にとって決して治療や助けになるとは限らない。そうやって自身で体の居場所を作る知恵や工夫こそが、生きることそのものであり、自分を受入れ向き合い付き合っていくことなのであろう。
著者である伊藤亜紗さんはインタビューを通して、もしかしたら当事者の方でさえまとまっていない気持ちや断片的な言葉から、その人の苦しみや「自分はこうあっていい」と折り合いをつけている身体と心の奥深い部分にも気づき、的確に表現、言語化しているのではないかと感じる。
その痛みや苦しみを著者本人は体感したことがないのに、当事者が耐え難い毎日の中で出したこたえ、結論をここまで理解し、寄り添えることに驚きを隠せない。
著者が「美学者」ということも大変興味深い。
生きること=人それぞれの美学。
10人いたら10通りの美学、人生哲学があるのだろう。
美学とは信念や強さ、モチベーション、生きる力にもなりうるのかもしれない。
11人全ての人のマイノリティは、私自身にも当てはまることがあり、実は普遍であるかもしれないということ。
世の中に症状や病名は違えど人知れず苦しみの中に暮らす人は少なくないわけで、だからこそこうして書籍になり、多くの人たちに読まれ希望を与えるのだと、良書に出合うたび「本の力」に感動する。
個人的に、摂食障害のこころと身体が乖離した状態の人たちもとても身近に感じたが、最も印象的だったのは、いまだに正確な病名の診断がないまま、10代の頃から原因不明の体調不良とともに生きてきた谷田朋美さんの章である。
脳脊髄液減少症と診断されるほどの原因不明の全身に渡る体調不良。
彼女は検査や治療や慢性疲労症候群当事者の会などに参加し自身の体と向き合いながらも、ただその中に沈み込み死んだように生きる選択はしなかった。
大学生の頃に経験した海外の紛争地域で現地の人から「君は何もできない学生だと分かっているけど、伝えることはできるでしょう?」と言われた言葉通り、記者という進路選択をしたのだ。
他人から見えにくい病を抱えながらも、常に体調不良を伴い、ときに治療として行ったことの副反応により、また治療が必要となる。
そんな人が多忙を極める、身体に大きな負荷のかかる仕事を選ぶなんて、正気の沙汰ではない、と多くの人が考えるかもしれない。
しかし谷田さんはそれを選んだ。
遠い他者と結ぶ傷の連帯こそが、谷田さんにとっての「体の置き場所」であったとすれば、一見大胆に見えるそんな進路選択も、谷田さんにとっては自然な成り行きたったのかもしれません。
第8章はそう結ばれている。
はたからみて「しんどそう」「そんなことやっているから具合が悪くなるんだ」「静かにしていればいいのに」場合によっては「不快」「目障り」と映る人には、そこはその人にとって最も落ち着く「体の居場所」なのかもしれないということを理解できない。
毎晩鼻マスクをするしんどさを実は店主は痛感している。
考えると鬱陶しいを通り越して「悲しく」なる。
夜が怖い。
それでも人は生きていかなければならない。
生きていくにはお金がいる。
お金儲けをするなら、1番好きなことを、そしてストレスのないことをやりたい。
本屋をたった1人で営む。
それがたくさんの痛みを経験してきた店主の「体の居場所」である。
できればインスタグラムなどせずに、見ずにひっそりと生きていきたいと願うが、このご時世それをやらないわけにもいかない。
あまり自分の不具合を表に出したくないが、店舗営業やイベント出店などをしている以上、調子を崩し休むことになれば、それを知らせるしかない。
SNSをみた人から投げかけられる言葉。
「そんなにしんどいなら止めればいいのに。」
しかしそんな心ない言葉に傷付きはしない。
それ以上の体や心の痛みを知っているからだ。
取るに足らない。
ただ、そこ(不特定多数の人が自由にみたり意見できるSNSの世界)はいまだに居心地がいいとは言えず、自分の、大切な体の居場所ではないと感じている。
