2025/04/30 16:45
中学時代に日本近代文学のほとんどを読破したと自負していた私が読んでいない、もしくは読んだことを忘れている、記憶に残っていないものがスミンさんの選には少なからず存在していた。
本書のあとがきにスミンさんの誠実で実直なお人柄そのまま、なぜ日本近代文学なのか?数々の失敗や壁にぶつかりながらたどり着いた「今」だからこそ、胸を張ってのこの選なのだと知った。
スミンさんとの出会いはコロナ禍の2021年、わたしが今の場所にひっそりと店を構えた年の秋だ。
本屋イベントを企画していたあいだプロジェクトと韓国で女性1人出版社、書店、会社員の3足のわらじで活躍されていたチェ・スミンさんとのコラボレーションで生み出されたオーディオブック『三十の独り言』。
当店の客層にピッタリのものだと直感し、当時まだ創業1年経っていない頃に異例の冊数を入荷、販売した。
その後はスミンさんが日本へ留学、ステイしたときのホストファミリーである「もう一人のまりさん」とのご縁もつながり、私にとっても大切な1冊となった。
コロナ禍に海外へ旅立つ娘や娘の友達に贈りたい、と購入して下さったお客様もいた。
本書では、近代文学の中でも、いわゆる日本人なら誰でも知っているような典型的なものではなく、しかしながらどの作品も日本人なら持っているであろう「恥 」「利己」「情熱」「狂気」⋯日本人に限らず、人間の普遍、人間であるがゆえの「本質」を実に面白い視点で紹介してくれたことに、日本人でありながら、驚くほどの「新鮮さ」を感じている。
4/29㈷に広島市横川にある人気店【本と自由】で開催されたチェ・スミンさんと夏葉社 島田潤一郎さんのトークショーに参加し、短い時間ではあったが、リトルプレスとの出会い、魅力、そして最初に封筒に手紙を入れる形でのリトルプレスを企画するにあたり『遺書の一部より 伊藤野枝』 の翻訳作品を選んだとお聞きした。
なんとも興味深く面白い試みである。
それは「明治プロジェクト」というシリーズで韓国で販売されている。(ここでいう「明治」とは時代の明治ではなく、チェ・スミンさんの母校である明治大学からの引用らしい。)
チェ・スミンさんが選ぶ三選は
『遺書の一部より』伊藤野枝
『箱の中のあなた』山川方夫
『恋』渡辺温
島田さんが選ぶ三選は
『蜜柑』芥川龍之介
『月とあざらし』小川未明
『花の咲く頃』田中康太郎…などを挙げられた。
わたしはこのイベントに臨む前に全編を3回読み、迷いなく3度とも次の3作品を選んだ。
『寂しき魚』室生犀星
『月とあざらし』小川未明
『箱の中のあなた』山川方夫
それぞれの作品の前にスミンさんのひとことが掲載されている。
『寂しき魚』夢を持つ意味とは。
『月とあざらし』他人の痛みに共感できるか。
『箱の中のあなた』恋は所有できるのか。
わたし自身がそれぞれに一言を添えるとしたら、、、
『寂しき魚』人生そのもの。
『月とあざらし』愛の狂気と他者へ寄り添うことの限界。
『箱の中のあなた』猟奇的な究極の自己愛のカタチ。
チェ・スミンさんが、エリート社会から逃げ、日本の大学の授業で自信無く発言をしたときに「その視点は面白いね。素晴らしいね。」と先生に言われたことで、小説、文学は、答えが1つではない、色々な感じ方、それらすべては正解なのだと知った、とおっしゃった言葉に、今更ながらハッとさせられた。
日本では
小説=直木賞
文学=芥川賞
といったジャンルやカテゴリー分けが暗黙であり、小説は分かりやすくエンターテイメントとしてのストーリー性が顕著なのに対し、文学とは難解で格式高いもの、という印象がある、と島田さん。
それに対してスミンさんが「小説と文学の差は感じない、真心が入っているもの=文学であり物語」
「読む時間よりも、読み終えたあと、考える時間のほうが長い。作家が質問を読者に投げかけている。何日も何日も考えることがある。」
とおっしゃった言葉が本当に印象的だった。
私自身、中学生で何度も読んだ『車輪の下』『月は沈みぬ』『氷点』『罪と罰』は何日どころか何ヶ月も、何年経っても自分なりの答えが見つけられず、咀嚼できず、大人になってもトゲのように胸に刺さったままだった。
この年齢になって、うっすらと自分自身からの問いかけに、少しだけ答えてあげられるような経験や思考を積んだと思う。
それでもいまだ、答えは見つかっていない。
だからこそ読書は楽しいし面白いし深いのだ。
最後にちょっとだけ豆知識を💡
島田さんが「山川方夫さんを知ってる、読んだことあるって人?」とトーク中に問いかけられたとき、挙手しかけて、周囲の誰も手を挙げていない状況に一瞬うろたえ、手を下ろしてしまった。
小学高学年か中学1年の頃か、、、
教科書に掲載されていた『夏の葬列』といえば、お分かりの方も少なくないのでは!?
私はそれを読んで、この作家のことを知りたくなり、夭折した短すぎる人生から生まれ出た「死がある前提での生」のようなものを理解したくて、いく篇かを読んだ。
チェ・スミンさんがなぜこの作品を選んだのか?この作家に対するイメージは??
と島田さんに質問されたときに出たこたえは
「シティ・ポップのような都会的な軽やかさ。」
これまで重々しいイメージしか持っていなかった彼の作品に対して、チェ・スミンさんの感想を聞いて、そうか「軽やかさ」なのか、と腑に落ちた気がした。
俯瞰してカメラの向こう側から画面の世界を覗いてみているような客観性。
重々しいテーマが読み手に苦痛を与えるのではなく、まるでドキュメンタリーフィルムを見せるかのように、それでいてどこか夢の世界のような心地よさ、軽やかさをまとっているのだ。
文学とは哲学であり、哲学とは対話であると思っている。
◯か✕かではなく、生き方と同じだけの感性や答えがあるということ。
それを知ることで自分を知ることもできるということ。
叶うなら、いつの日か、チェ・スミンさんと日本近代文学について対話してみたいと密かに思っている。
